なでしこルネッサンス

病気

病気と寄り添って

寿命は人によってプログラミングされているものですから、
ガンなどの取り返しのつかない病になったら受け入れることも必要です。

いたずらに病気と闘うのではなく、そういう時期がきたら上手に病気と寄り添い、その中で、どう最善の生き方ができるかを考えてみてください。

周りの温かさに気づき感謝したり、自分の人生の総整理をして、心の準備をすることができると思うのです。

アマーリエ 集会レポートより

病気と闘わない

私たちから見ると、本来目的を立て、修行をしているのは実在界のわたしたちの世界。

そしてそれから、一生懸命計画を立てて、まあちょっと長い長期な旅行に出るような気持ちで、地上に出て来るのです。そして、そこで一発テストを受けるのです。
そしてそれがだめだったら、また次に、また帰って来て、実在界で一生懸命修行をして、そして、また次に出て行って、試験を受けると。

まあ、そのような流れと申しますか、そのような形でいったとき、旅行先で病気になるのは困るけれども、でもまあ、旅行なら旅行に行って、ある程度やったらば、まあ、こっち戻って来てから、ゆっくりその病気を治せばいいやとか思うじゃないですか。病気なんてそんなものなのです。

ああ、ちょっと肉体が壊れたから、一年間行こうと思ったんだけれども、十ヶ月で切り上げて帰って来ようかとか、そのような気持ちで病気をもし考えたなら、いたずらに病と闘わないで済むでしょう。

小桜姫 「日本神道の女性霊1」より

病に感謝を

「病よ、ありがとうございます」と手を合わせて、「どうか、この病を耐え忍ぶことにより、私の魂も鍛えられ、清められますように」という、感謝の思いで、その病とともに生きていくのです。

そうすれば、病によって必要以上に悲しみとか、苦しみというのを抱えずに済むと、私は思うのです。

そのように明るく、前向きに生きていくうちに、病はいつかしら、より良い方向に進んで、ときには消滅してしまうこともあるのです。

明るい思いで生きているときには、神の天上界からの光というものは、その方にさんさんと降り注いできて、どのような状況であるにしても、そのような苦しさというものをやわらがせ、そしてそれを軽く済ませてもらえるように動くのが神様の光である、愛念であるということをお思いください。

小桜姫 「日本神道の女性霊1」より

病を受け入れて

「病と闘うな」とよく言いますね。闘病というけれども、病と闘うのではない。

病を受け入れて、自分の体質と共存して、それもすべて自分がインプットしてきたことであるということをすべてを受け入れて、それとともに生きるということを―。
なぜならば、それを自分は望んで生まれて来たから。必ず、偶然ということはないのです。
あなた方の世界から見たら、すべて偶然のように思うかもしれない。
でも事故ひとつにおきましても、偶然はないのです。

それを通してわたしたちは大いなる代償を払いながら、それで自分の今まで知らなかった、魂のさまざまな膿のようなものを出させていただいているのだというふうに思ってください。

小桜姫 「日本神道の女性霊1」より

病やハンディキャップは神の愛から

神のお言葉の中には、常に人びとに幸せであれ、というふうに言われる言葉があります。

人びとは幸せになりたくて、「神よ、神よ、我が病を取り除きたまえ。我がハンディキャップを取り除きたまえ」というふうに言われるかもしれないけれども、
神は地上にいる子どもたちを愛するがゆえに、人びとにそのような病やハンディキャップをお与えになるということ。
そのことを忘れてはいけないと思うのです。

ヘレン・ケラー 「オピニオンリーダーの女性霊」より

病気から学び成長する魂

病気も、苦しみも、すべて、私たちが学ぶために、私たちを成長させてくれるための、ひとつの題材でしかなかったのだと、そう思ったとき、死ぬことも、悲しいことでも苦しいことでもないよと。

病気であったとしても、さまざまなふうな環境であったとしても、それはすべて、過去、自分がやってきた原因結果の、結果をつみ取るだけの、ありがたい、ありがたい試練であったのだと、そう思ったとき、一切の執着は離れ、自らの永遠の魂を上空から冷静に見渡すことができるようになると思うのです。

アマーリエ 「オピニオンリーダーの女性霊」より

病をつかまず共存して

自然に時の流れの中で浮かび上がってくるものは、やはり魂の中にある、深い深いところに潜んでいた膿のようなものの膿出しかもしれないということをお思いになったら、その一時(いっとき)浮かんでくれば、現象化すれば、それは消えていくのです。
それがたまたま現象化していったときに、肉体の病というものを通したりして出てくるかもしれないということは、そのときには、その病をつかまないということ。
出ていけば消えていくのです。
その病と一時(いっとき)共存することによって、大いなる魂の代償を払って、自分の魂を浄化しているのかもしれないのです。

小桜姫 「日本神道の女性霊1」より

神の愛によって生かされる命

女性であっても男性であったとしても、どんな生き方においても、地上における自分たち人間の真の幸せとは、その表面的な外側にあるのではなく、内面的な自分自らの幸福感というものを、愛により、神の子としての神性を光らすということの原点に戻って、人生というものを考えていかれたのならば、それを広げていくのであるのなら―。

生まれつきの病に臥せっている者たち、そして生まれつきハンディキャップを持ち、二十年以上生きていけないと言われている身障者の方がたもおられるのです。難病のもとに生まれて来られる方もおられるのです。

そのような方がたの人生を、単に不幸であると、そのように定義づけるようなことはできなくなると思うのです。

真に不幸であるとは、愛を知らぬことであります。
真に不幸な人生とは、愛なき人生であります。
愛とは神です。
神とは愛の光です。
神とは愛を、愛をたたえた、この宇宙の生きとし生けるすべてを育まれておられる法則であり、愛のエネルギーなのです。

(中略)

愛なくして、神の愛なくして、わたくしたちは生きていくことはできません。であるならば、地上に生まれし時より、神の愛によって生かされていない者はただ一人としていないのです。

ヘレン・ケラー 「オピニオンリーダーの女性霊」より

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