なでしこルネッサンス

ほんとうの美しさ

心の美しさ

女性の美しさというものは、心性、心根の美しさにあるのです。心の優雅さにあるのです。
女性が心の中に謙虚さと、男性に対する、自然界に対する、信仰心に対する、神々に対する、謙虚さ、美徳というものを失っていった時に、女性がどれだけ表面を塗りたくってみたところで、そこに美しさは存在しないのです。

内側からにじみ出てくるものなのです。
美というものは、内側からにじみ出てくるものなのです。

天照大神 「アマテラスの祈り」より

花がなぜ美しいか

花がなぜ美しいか?無心に咲くからですよ。

誰かに評価されて、誰かに美しいと思われたい、
そういう思いで表面をゴテゴテ飾るのは、美とは言いません。

ただただ無心に、自分の役割を、自分の存在を、でも精一杯、自分自身らしく装うことをもって、多くの方がたの目を楽しませていく。
それをもって、「美の表現者」と申し上げているのです。

セレニティ 「ガイアの祈り」より

装うことはいたわり

美で彩るために、神は女性をつくられました。ささやかな思いやりです。

この愛の星を彩るのは、花々の美しさだけではないのです。
年齢だけでなく、種族も関係なしに、女性は美というものを表現していく。

装うということをもって、周りの方がたに対するいたわり、励まし、生きる希望というものを与えることができる。
それが、女性を本来おつくりになった、神が期待されたエネルギーでもあるのです。

セレ二ティ 「ガイアの祈り」より 

女性の品性

品性におきまして、慎ましやかな、清楚な、他者に対するいたわりと、そして愛にあふれた献身的な女性らしい生き方をしている者には、
自ずとそのような謙虚さの中から醸し(かも)し出す品位というのが出るのかもしれません。
私はそのように思うのです。

ですから、内面を自分の自我我欲の中で、自己本位に生き続けていたのなら、 たとえ若い頃いかに美しい目鼻立ちであり、そして高級な衣服を身に着けていようとも、 年齢とともにその方の品位の醜さが、やはり目鼻立ちを通して醸(かも)し出されて、どんなにお上品ぶった言葉遣いや身なりをしてみたとて、 その方の醜さというもの、品位のなさというものは、見る方が見たのならば、表面から見てわかってしまうのではないかと、私などはそのように思うのです。

木花開耶媛命 「日本神道の女性霊1」より 

ほんとうの美の表現者とは

ファッションという名のもとに、高価なものを手に入れること、買い物の中毒になって、 あと、自分の目鼻を変えてまで装うことをもって、美の表現者だと思うのならば、 それは大間違いだということです。
よろしいですか、違うのです。

ファッションとして、美しく装うということは、
周りに対する思いやり、愛の表現であるということなのです。

セレニティ 「ガイアの祈り」より

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